ネタの宝庫、北大阪急行
大阪府豊中市から吹田市を結んでいる北大阪急行。
大阪市営地下鉄の御堂筋線を北に延長した路線だ。
南から順に
- 江坂
- 緑地公園
- 桃山台
- 千里中央
と駅は4つ、距離は5.9kmだ。
この5.9km、駅も4つしかない北大阪急行には、マニアックなネタがたくさん眠っているのだ。
初乗り運賃が日本一安い
北大阪急行の初乗り運賃。
大人100円だ。
南端の駅、江坂から隣の緑地公園までは100円、こども50円。
逆側の御堂筋線方面では隣の東三国駅まで180円。
一般鉄道では全国で一番安い。
端から端まで乗ってもたったの140円。
道路と並走している区間
高速バスに乗ると、この区間を一緒に走ることができる。
国道423号線、新御堂筋と平行に走っている。
おおよそ同じ速度で走るのでドライバーや助手席の人と目が合うこともしばしば。
ちょっと恥ずかしい。
万博が終わると同時に廃止になった会場線
もともと北大阪急行ができたのも1970年の大阪万博がきっかけ。
万博会場まで大阪市営地下鉄の御堂筋線を延伸する予定だったとか、そうでないとか。
大阪市外ということもあり、大阪市も消極的だったとのこと。
ともかく急ピッチで建設された北大阪急行。
1970年2月24日に江坂~千里中央の南北線、千里中央~万国博中央口が開業した。
日本万国博覧会は1970年3月15日~9月13日までの183日間、開催され6,400万人を超える来場者を記録したという。
万博閉幕翌日の9月14日、千里中央~万国博中央口は廃止になった。
廃止になった会場線跡は、中国自動車道になっている。
千里中央の駅も、当時は仮駅舎で中国自動車道と交わるところにあったそうだ。
そのまま東に万博会場までつながっていたとのことだった。
今も残る廃線跡
万博閉幕と共に廃止になった会場線。
線路が敷設されていた区間は、中国自動車道となり跡形も無くなっている。
が、一部の場所で当時を思い出させる廃線跡が残っているのだ。
下の写真は、地図の場所から南(下向き)に向かって撮影したものだ。
右側に広くスペースがあるところ。
ここに、仮駅舎の千里中央駅がつながっていたという。
中国自動車道の真上。
当時はまだ1車線の中国自動車道。
駅を建設するスペースがあった、というか中国自動車道に建設を待ってもらっていたのかもしれない。
トンネルの中にも
先ほどの地図をもう一度ご覧いただきたい。
今の千里中央駅の方向と、万博会場へ向かう線路の方向が違う。
途中で分岐しているその場所も、まだ残っている。
真っ暗なトンネルの中に一瞬見える別方向の穴。
これは、桃山台から千里中央へ向けて走っている電車の中で撮影した。
地図でいうと、下から上に向かって走っているところだ。
右前の方向をよく見てみると、2時の方向に空間ができている。
これが会場線として万博会場へ向かって行った線路の名残なのだという。
短い中にも歴史と文明の発達が残っている
たった5.9kmの距離を営業しているだけ。
1時間半歩いたらついてしまう距離。
その中には、高度経済成長と、日本万国博覧会と、モータリゼーションのエッセンスがしっかり詰まっている。
万博期間中、たくさんの利用者がいたからこそ収入が安定した。
会場線の跡地は中国自動車道として使ってもらえた。
千里中央からの利用者も多い。
だからこそ初乗り運賃が100円に設定できるようだ。
地下鉄の一部だと思って乗っている人もいるかもしれない。
地元の利用者でなければ気付かないかもしれない。
そんな北大阪急行が好きになってしまう。
5.9kmのために乗務員が交代し、5.9kmのために北大阪急行という会社が存在する。
ただの御堂筋線の一部ではない、準大手私鉄なのだ。
小さいながらもパワーのある北大阪急行。
僕が憧れてしまう最高の私鉄だと思っている。