勢いに任せて手を挙げてしまう。あれこれくだらないことで悩むなら。やらないで後悔するより、やって後悔しよう。
「アドベントカレンダーに参加するもの初めてじゃない」という気持ちが後押ししてくれた。5の倍数って気持ちがいいな、という安易な気持ちで12月15日を選ぶ。さて、何を書こうか。
一途な気持ち
残念ながら、Makro Planarは持っていない。というより、4年前から何一つ装備が変わっていない。4年前のゴールデンウイーク、予約していた特急の出発時刻まであと30分ある。ふらっと立ち寄った難波駅のビックカメラで思わず買ってしまったのが今のカメラだった。
誰かを沼に引きずり込むほどレンズやボディを買い換えたわけでもなく、アンダーや縦構図に凝ったわけでもなく。唯一、購入当時から変わったのは、16GBのSDカードを買い足したくらい。
僕がレンズやボディやフィルム以上に写真に対してお金をつぎ込んだとしたら。それは「もう一度撮りに行く」ということだった。
想像してごらん
いいボディにいいレンズがあれば、いい写真が撮れる。望遠レンズの圧縮効果は、目で見る世界とはうんと違うので、それだけで興味を引く。
水平、垂直を意識すると、写真という四角い枠に対して収まりがいい。建物のように動かないものを撮るなら、太陽の向きを考えて、季節や時間を選ばなきゃいけない。
ポートレート写真であれば、被写体が安心するような人当たりの良さも大事だ。いい機材を買えば、いい写真は撮れる。でも、札束で殴る程度じゃ、まだまだいい写真は撮れないのかもしれない。
やりなおす
デジタルカメラが普及して、撮影したその場で写真を見ることができるようになった。イマイチだと思えばもう一度撮ればいい。現像からあがってくる時間を待つ必要もない。
1日かけて撮影して現像あがりを楽しみにしていたフィルムが未露光だった、なんてことも無くなった。
ただそれは、デジタルカメラで、その場で確認したときの話。
喉に魚の骨がつっかかっているみたいに
その場で見た写真、家に帰ってパソコンで見ると印象が大きく違う。ピントがズレていたり、手ぶれしていたり。背面モニタでは気付かなかった小さな小さなミスが、モヤモヤを増幅させてしまう。
まるで喉に魚の骨がつっかかっているみたいに気持ちが悪く、そもそも自分自身が写真に納得していない。
取り直しにいこう。もう一度撮影のチャンスがあれば、満足いくものが撮れるのかもしれない。
何の変哲もない1枚
コーヒーの写真、駅看板の写真、本の写真、ホームの写真、信号機の写真。
それほどのものだろうか。雑誌の表紙を飾るわけでもなく、コンテストに応募するわけでもない。たまにブログの記事になったり、中にはパソコンの中に眠りっぱなしの写真もあるけれど。
それでも納得いかないものをそのままにするのが我慢できなくて。もう一度同じ場所に行くのだ。
ロケハンをして、事前準備を整えておけばいいのだろうけど。
その偶然出合った1枚を、全身全霊で撮れなかった自分への懺悔と、反省を込めて同じ場所に向かう。
1年に1回程度、どうしても納得できない仕上がりの写真があるから。2020年は片道760km、福岡で懺悔することに。
向き合う
残念な居酒屋を出たときに、仕切り直しにもう1軒行こう、という気持ちがちょっぴり分かる気がする。
陶芸家が自分の作品を割ってしまう、その感覚がちょっぴり分かる気がする。
朝日が出る数時間前から、寒い中でカメラを構える気持ちが分かる気がする。
息を止めてファインダーを覗く真剣さが分かる気がする。
至って真剣に撮っているその1枚でも、まだまだ真剣さが足りないんだな、と後から気付く。機材は何一つ変わっていないとすれば、自分自身の問題だ。
これほど自分と真剣に向き合ってくれるものはあるだろうか、と考えたら。やっぱりカメラがあってよかった、なんて思うわけで。
カメラだけじゃなく、写真が上手なお友達がたくさんいるからこそ、そこに近付いてやるぞ、なんて思ったりする。
撮りなおしにいかなくてもいい、渾身の1枚に自信が持てる。そんな「写真を追いかける」こと、その環境と仲間がそろっていることは、人生にとって大きなプラスになっているに違いない。
2021年はもっと写真を撮ってやるぞ。んでもって、そろそろ新しい1台を迎えてもいいのかな、なんて思っている。
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この記事は、しむさんアドベントカレンダー「【1st Roll】カメクラが沼へ誘う Advent Calendar 2020」への参加記事です。