フィルムカメラ、デジタルカメラ、手を掛ける、撮って出し

フィルムカメラ、デジタルカメラ、手を掛ける、撮って出し

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初めて買ったカメラはミノルタの一眼レフカメラだった。もちろんフィルムを装填して使うもの。リチウム電池も、それなりの値段だったのを覚えている。

シャッターを押してから、実際に仕上がるまでに数時間、数日と時間必要だった。当時、ローソンで受け付けていたDPEサービスをよく利用していたのを覚えている。現像+プリントで1,000円もしなかった。

ネガフィルムの特徴は、プリント時にバランスを変えやすいところ。ラティチュードが広く、多少の失敗をプリント時に補正できる。思った色になるか、ならないかはオペーレーターの腕も関係してくる。もっともフロンティアなどが導入されると、安定した色味になったのだけど。

オペレーターの手が介在したとしても、それは自分が撮った写真そのものだった。デザイン会社や制作会社が扱う写真であれば、レタッチャーと呼ばれる写真修正を専門にする技術者が、加工することもあったそうだが。

一般人ができたのは、トリミングや明るさ、色味の修正をお願いすることくらいだった。

デジタルの一眼レフカメラを買ったのは3年半ほど前のこと。勢いで買ったカメラが、今はいいパートナーになっている。

撮ったその場で確認できる、1枚あたりの撮影コストも下がっている。40,000円で買ったカメラは、85,000ショットを超えた。追加で買ったのはSDカードだけ。付属のバッテリーも本体もレンズも現役で使えている。

LightroomやPhotoshopを使えば、加工も簡単にできてしまう。
カラフルな街並みを白黒に仕上げることもできるし、暗かった風景をくっきり鮮やかにできる。いつの間にか幻想の世界に連れて行ってくれる存在になった。

写真として、現実を写すというより、写真を踏み台にしたその先の世界を楽しむことができるようになった。

オペレーターの手を介在しても、リアルで現実らしいフィルムカメラ。
1から10まで全部自分の手でできるけど、あまりにも色々できすぎてしまうデジタルカメラ。

カメラとしての楽しみ方、写真としての楽しみ方、芸術としての楽しみ方。
どれを、どうやって選ぶのが自分自身で納得できるのだろう。

もちろん写真そのもがどうやって相手に届くか、ということも重要だ。
プリントした写真、雑誌に載る写真は、色やサイズ、質感まで届けることができる。みんなが同じ写真を、同じように見てくれる。

一方でスマホに送った写真、ウェブページに載っている写真。それは、全く違う写真になる。色温度やコントラスト、解像度は相手の表示デバイスに依存する。スマホで見る、タブレットで見る、パソコンで見る。同じ色、サイズ、質感にはならない。とすれば、写真の価値はどこにあるのか。

世の中にカメラが登場したとき。画家の価値が下がったと言われる。風景画は写真になってしまったのだ。
デジタルカメラが登場したとき。フィルムカメラの価値はどうなっただろう。多くのカメラメーカーがフィルムカメラの規模を縮小していることを考えると、もう過去のモノになってしまっている。

スマホのカメラが高性能になってきたら。デジタルカメラの価値はどうなるのか。2019年の今では、まだ棲み分けができていると思っているが。それが同じフィールドで戦う日も近いかもしれない。

カメラを好きになって、カメラを手にして、何百本とフィルムを消費してきて、何万回とシャッターを切ってきた。このカメラの変革期と重なる人生が嬉しくて、楽しくて。

古いモノにしがみつきながらも新しいモノも試したい。そのどちらを選ぶことが許されている今だからこそ。たっぷり楽しみたいと思う。